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まどろみさん 3rd その1

杉並区にも夏が来た。

あまりの寝苦しさに飛び起きてみると、午後2時の私の部屋はじっとりとした南国もどきの高温多湿が充満していて、部屋全体が汗ばんでいた。
私も体中汗でびしょびしょ、耳の奥まで汗まみれらしく頭を振ると「チャポン」と水音がした。壁の温度計を見ると43度をさしている。
「まるでお風呂だ!しかも熱め!」
私はとりあえず流出した水分を補おうと台所に駆け込み蛇口をひねり生暖かいスギナミ水を3分間がぶ飲みし、さらに頭からかぶった。
ようやく一息ついた私の耳に「ニャーオー」という力無き声が聞こえてきた。
「ジェット!大丈夫?」
同居猫のジェットはトイレの水洗タンクの下にうずくまっている。
無敵を誇る百獣の王ジェットも、この気温には完全にまいっていた。
ぐったりしたジェットを蛇口の下に寝かせて水洗いしながら、私はこの突然の熱帯化現象の原因を探すために部屋を見回すと、開けてある窓の外から轟々と熱風が入り込んできているのが見えた。

熱気にクラクラしながら近づいてみると、ベランダの横に見慣れない機械が取り付けられており、ブイブイいいながら熱風を送り込んできている。
隣人のイナナキさんが取り付けたものらしい。
私とジェットは部屋を飛び出し、隣のイナナキさんのドアを拳で乱打した。
ドアが開くとひんやりとした冷気があふれ出てきて、イナナキさんの長い顔が現れた。
「おーやおや、まどろみさん、ボンジュール。」
私たちは部屋になだれ込んだ。
キンと冷えた室内の天井に大きなクーラーが取り付けられブインブインいいながらものすごい冷気を吐き出している。
「すごいでしょ、これ。これこそTheクーラーですよ。友人から入手したんです。その名も『底冷え2006改』。プロが使う業務用らしいんですよ。」
イナナキさんが得意気にいなないた。
「プロって何のプロ?業務用って何の業務なの?」
私はあまりの冷気に震えながら聞いた。
イナナキさんは「えー、まぁ、その辺はちょっと私も専門外なので分かりかねるというか・・・。とにかく冷やすんですよ、プロっぽく。『冷やすためだけに生まれた!』というのが宣伝文句なんですから。すごいっしょ!」
私は鼻息荒くイナナキ続ける彼をベランダに連れて行き、轟々と音を立てて熱気を吐き出す例の機械について尋ねた。
「これは何なの?『熱するためだけに生まれた!』感じのこの機械は?」
「あぁ、これは室外機ですよ、この『底冷え2006改』の。つまりこの部屋をキンキンに冷やす代わりに熱気を外へギンギンに吐き出す。冷気の影に熱気あり!幸福の裏に不幸あり!まさに自然の摂理な訳で・・・」
私は、興奮していななき叫ぶ彼を縛り上げ私の部屋まで引きずっていき、蒸し風呂状態の部屋の真ん中に転がして叫んだ。
「あなたの自慢の『底冷え2006改』のおかげで、僕の部屋は熱帯だ!The熱帯だ!これが自然の摂理だというのか!喝だ、喝!」
イナナキさんは一瞬で汗を噴出しずぶぬれになりながら白目をむいてイナナいた。
「なんですか、ここは!43度もある!お風呂だ、しかも熱め!こりゃひどい。ほどきなさい、大至急ほどきなさい!」
「あなたが自分の部屋だけをプロっぽく冷やそうとしたからいけないんだ。罰です。ジェット、彼を暖めてしまいなさい。」
ジェットがニヤニヤ笑いながら、横たわるイナナキさんの上に飛び乗りうずくまった。
「うわ、暖かすぎます、ジェットさん。あなたの毛皮暖か過ぎです。暑い熱いアツイ!もうだめだ、なんまんだぶなんまんだぶ・・・」
泣きながら詫びるので縄を解き、一緒に『底冷え2006改』を取り外してリサイクルショップに売り払い、そのお金でビールと枝前、それとジェットのためにグリコジャイアントコーンを買った。

ようやく普通の夏の猛暑が部屋を満たし、私たちは普通に汗ばみながらビールを飲んだ。
「これが夏だよ、イナナキさん。僕らの正しい夏なんだよ」「ほんとだね、まどろみさん。これが正しい夏の正体なんですね。」
派手なセミの声に包まれて、夏の夕暮れが明るく白く杉並に満ちていき、私たちはその真ん中でずっと夏ビールを飲み続けた・・・。

まどろみさん 3rd その2

杉並区にも秋が来た。

ジェットと私は秋晴れの光が差し込む部屋の中で、「カミツキ訓練」と称して、あぶったスルメを口で引っ張り合う競技に熱中していた。
ジェットの野生が爆発し激しい鼻息と共に鋭い牙がスルメを引き裂こうとする。
私の中の獣も激しく覚醒し、流れるよだれも何のその、「フんガぐルるルー!」などと唸りつつ応戦、白熱のカミツキ訓練が頂点に達したころ、ものすごい激痛が私の左奥歯を襲った。
私は慌てて「あいやしばらく!!」と叫び訓練を中止、急いでスルメを吐き出してみると、私の愛しい奥歯がいくつにも砕けてスルメにめり込んでおり、興奮したジェットはそれを一息に飲み込んで勝ち誇ってヒゲを逆立てた。

私はあたふたと鏡に向かい口の中を覗き込むと嗚呼!
今まで私の咀嚼活動の30%近くを受け持って黙々と噛みしめ続けてきた左奥歯が砕け大きな穴をのぞかせており、その中心からチョロリと神経の端っこがツクシのように生えているのが見えた。
驚いて触ってみるとまた激痛、「ヤンバルクイナー!!などと言葉にならない悲鳴を上げると「いったいどうしたの?まどろみさん。ご機嫌な声出してからに。」などといいつつヌボッっと隣人のイナナキさんが顔を出した。
私はワンワン泣きながら事情を説明すると「安心召されい、まどろみさん。町外れに私の親戚の名医が歯科医院を開業してます。この道ウン十年の大ベテラン、直した患者は数知れず、済ました顔して歯を治す、『我が一族最後の大物』といわれた先生に直してもらえばいいのです。さぁ、涙を拭いて、鼻呼吸しながら行って来なさいな。」
私は口をあんぐりとあけつつも風で奥歯神経がなびかないように注意しながら、教わった町外れの病院まで歩いた。

たどり着いてみると崩れかけたような古い医院が虚構のように存在していた。
埃まみれの看板を見るとうっすらと「我慢歯科」と書いてある。
嫌な予感を振り払い錆び付いたドアを押し開けると、玄関の上がり框の床板に、異様に痩せてるのにむやみに精気に満ち溢れた老人が正座しており、「来たなコノヤロウ!」と大声で迎えてくれた。
私は奥歯が気になりうまくしゃべれなかったが、「かくかくしかじか・・・」などとたどたどしく事情を必死で説明し適切な治療を求めた。
老人はずっと正座のままなぜか小刻みに震えながらじっと天井をにらみつけ私の説明を聞いているようだったが、しばらくすると急に私を見つめ静かな通る声で「お前が試されるときが来たようじゃ。」といい「来なさい、コノヤロウ!」と私を奥の部屋に引きずりこんだ。

そこは現代ではなかった。
昭和でも大正でもなく、おそらくこれが明治なのだなと思えるような部屋であった。
木の長椅子とそれを取り囲む恐るべき大雑把な治療器具の数々、大きなバーナーからは炎がブシュブシュ燃え上がりむせ返る重油のような匂い、そして冷酷な狂気を宿したような老人の目の光。
私は「あいやしばらく!!しばらく!!」と中止を申し入れたが、老人とは思えぬ怪力で長椅子に固定され、どういう仕掛けか椅子はガタゴトと動き、私は仰向けに寝かされるような体勢になった。
見上げた天井には一面に「がまん、ガマン、我慢…」と呪文のように黒い文字がうねっている。
「お前の我慢、見せてみろコノヤロウ!!」老人は絶叫しながら私の口をこじ開けた。
私は全精力を上げて反撃しようとしたが老人は器用に私の顎関節を外し、閉じれなくなった口はアワアワ言うばかり、そしてあの金属が高速回転するいやらしい音を立てながら無骨な、日曜大工用のようなマシンが私の口の中に突っ込まれ、そして私はか弱い奥歯神経がそのマシンの先端に巻き付いて引き抜かれるのをはっきり感じ、全身の毛穴から声にならない悲鳴をあげつつ一瞬で気を失った…。

気がつくと秋の夕暮れで、私は町外れの道端に転がっていた。
顎は元通りにはまっていたが口の中は血だらけでしかもいくらでも湧き出してくるようだった。
奥歯の痛みはもう無い。
痛みを感じるような神経ごと無いのだろう。
アキアカネが舞い飛び、塀の上で猫が見上げるような夕暮れの下を、私は亡者のような足取りで家に向かった。
ようやく我が家の前まで来ると上から「おや、まどろみさん、血だらけでどうしたの?歯は治してもらった?」というイナナキさんのイナナキ声がベランダから私に降ってきた。
私は虚脱感からじわじわと復帰しつつ一気になにやら高まってきて「ワー!!!」と泣き叫びながら拳を硬く握りしめ、イナナキさんを叩きのめすためにアパートの階段を飛ぶように駆け上がっていった・・・・。

まどろみさん 3rd その3


杉並区にも新春が来た。

除夜の鐘が鳴り響く中、私とジェットは部屋のコタツの上に並んだ年越しのご馳走を前にして気色ばんでいた。
私は酢ダコ茹ダコたこ焼きのタコづくし、ジェットはスルメにアタリメ、イカ燻のイカづくしで年越しをすることにしたのだ。
「これだよね、ジェット。いろいろゴチャゴチャしたおせち料理なんかガキの食い物だYO!オトナの男はやっぱ『づくし』でキメないとね。さあ、盛大に軟体動物を噛みまくろうZE!」
我々は盛大に噛み始めたが、大失敗だったことはすぐにハッキリした。
驚くほどすぐに噛み飽きてきたのだ。
しかし止めることが出来ないままクチャクチャと無言で噛み続けた。

やがて部屋のドアをノックする音がした。ジェットがドアに見向きもしないので、来客はイナナキさんであることが分かった。
「イナナキさんかい?」
するとドアを勢い良く押し開いてイナナキさんが赤ら顔で飛び込んできて、「ハッピヌイヤアー!ハッピヌイヤアー!」と絶叫し、軽い足取りでタップを踊った後、団十郎ばりの大見得を切って我々の反応を伺った。
しかし私達はうつろな眼で軟体動物を噛み続けるばかり、ただクチャクチャという音だけが沈黙の中、虚しく響いていた。
イナナキさんはすっかり意気消沈してしまい「ハッピヌイヤアーなのになぁ。くやしいなぁ。せつないなぁ。」などと小声でつぶやきつつ、あとずさりしながら部屋を出て行った。
「ちょっとかわいそうだったかね?」私はジェットに尋ねたがジェットはハッキリと首を横に振った。

しばらくするとまた部屋のドアを小さくたたく音がした。
私はまた懲りずにイナナキさんがネタを見せにきたのかと思ったので居留守を使おうと思ったが、驚いたことにジェットがスッと立ち上がりスルメをプッと吐き出すと玄関に向かって歩き出した。
ジェットが玄関に迎えに行くなんて見たことが無かった。 
私は驚いてタコ足をププッと吐き出し、玄関に駆け寄りドアを開けた。
するとそこには真っ赤な獅子頭をかぶった小柄な獅子舞がちょこんと立っていて、我々をみるとピョコンと頭を下げて会釈した。
「うわぁ、獅子舞だ!シシマイだ!久しぶりに見たなぁ。」
ジェットは獅子舞の足元に近づくと軽く匂いをかいでから、座り込んで獅子舞を見上げた。
獅子舞はかがみこんでジェットの頭の上で口を何度もパクパクさせながら、たどたどしい感じで踊った。
「わっ、いいなジェット!素敵に厄払いだ!次ボク次ボク!お頼み申します!」
私はワクワクして獅子舞の足元に屈み、頭を垂れた。
たどたどしく踊る獅子舞の細くて白い素足が目に入った。
頭の上で獅子頭の歯がカチカチと音を立てている。
私はなんだかドキドキしてきた。ゆっくり顔を上げると、唐草模様の奥に深緑のスカートが揺れていた。
私は顔を上げて獅子舞を見上げた。
心臓がむやみにはしゃぎだしていた。
ちょうど口を開いていた獅子頭の奥で、二つの眼が不思議な色で光っている。
獅子はあわてたように口を閉じてピタリと動きを止めた。
私は壊れ物のようにそっと獅子頭を外した。

茶色のくしゃ髪と、まぶしそうな眼と、一生懸命閉じているように見える口が見えた。
ケヤキだった。
突然現れて、そのまま一緒に生活をして、そして突然消えてしまった、そのケヤキが立っていた。
隠していた箱がひっくり返ったみたいに、いろんな記憶が体中から目を覚まして体の中を駆け回って、私はその場に座り込んでしまった。
聞きたいこと、知りたいことが次から次から湧き上がってきて、我先にと飛び出そうとしたけれど、私は必死で固く口を結んでそれらの言葉を自分の頭の中に押し戻し続けた。

30分近くかかってようやく言葉は湧き出すのをやめたので、私は恐る恐る口を開き、ゆっくり息を吸い込んだ。
ケヤキはじっと私を見ていた。
悲しげでも嬉しげでもなく、大げさでも無表情でもない、ただただ真面目な眼をして私を見ていた。
私は一番最初に思いついた言葉をゆっくりとつぶやいた。
「おかえり、ケヤキ」
ケヤキはコクリとうなずき、そのまま顔を伏せていた。
ジェットが促すように「ニャッ」と鳴いた。

そうしてぼくらはまた、3人になった。

まどろみさん 3rd その4


杉並区にも春が来た。

狂い飛ぶ花粉のために町中がうっすらと霞んで見え、輪郭が膨張したような不思議な光景。
そんな中私は真顔で鼻を垂らしながら朝ごはんを食べていた。
「はーっ、くっさめ!くっさめ!」私は最近覚えた「歌舞伎式くしゃみ」を連発しつつ涙と鼻水でびしょびしょになりながら納豆ご飯を食べ終えた。
ケヤキは花粉症ではないらしく平然としている。
ジェットも平気なようだ。
「僕だけがハナタレだ!いい歳こいてハナタレだ!嗚呼、なんたる屈辱!くっさめくっさめ!」
すると玄関のドアが開いて、真ん丸い宇宙飛行士のヘルメットのようなものを被ったイナナキさんが現れた。
「おやおや、大きな坊やがおハナを垂らしておりますな。こりゃ愉快。」
ヘルメットの奥でイナナキさんがニヤニヤと笑っている。
私は屈辱10倍増しでイキリ立ったが、なにしろおっしゃるとおりのハナタレ状態、反論も出来ずにただフガフガ涙と鼻水を溢れさせるばかりだった。
そんな私の姿にイナナキさんも心打たれたのか、慌てたように私の足元ににじり寄り、
「よく見ると鼻を垂らした姿もいいものですな、粋ですな。そういえばキリストもよく鼻を垂らしていたと聞きます。あの福沢諭吉もあだ名はハナタレだったとか…」
などとインチキ情報で私を慰めつつ、「さぁこれをちょっとだけ貸してあげましょう。」といって被っていたヘルメットを脱ぎ私に被せた。
するとあっという間に私の呼吸器周辺に清浄な空気が満ち溢れ、私のハナナミダは止まり、気分は高揚しどこまでも上昇した。

「なにこれ、すごいよ、全てが改善、大改善ですぅ!」
コーフンしながらイナナキさんを見ると早くもハナナミダ全開でのたうつ姿がそこにあった。
「ヒッ、ヒヒーン!早く返してくださいよ、それは駅前のドラッグストアのヤスキヨで売り出している花粉対策グッズ『スッポリン』です、まだ売ってますからお買いなさい!ご自分でお買い求めなさい!」
私は韋駄天のごとく部屋を飛び出しヤスキヨに飛び込んだ。
スッポリンは残りあと一個であった。
毒々しいムラサキ色バージョンだが仕方が無い。
私は意気揚々と部屋に戻った。

イナナキさんはハナナミダで全身を濡らし、なんだか溶けかかっているようだった。
「おやおや、人のお部屋でこんなに垂らしちゃって。あきれちゃう。」
私は借りていたスッポリンをイナナキさんにスッポリ被せた。
「ヒーヒヒーン、ギリギリでした!自分、ギリギリでした!」
イナナキさんはうれしそうにイナナキながら部屋に帰っていった。
「科学ってすごいね、ちゃんとイイモノも生み出すんだね。」
ムラサキ色のメットの中で私は爽やかに笑った。
ケヤキはなんだか複雑な表情で私を見ていた。

その夜は母校の同窓会だった。
ハナタレ状態の時には行こうとも思わなかったが今や無敵、足取りも軽く出かけた。
スッポリンは大流行しているらしくたくさんの人が被っていた。
みな爽やかに笑っている。

母校には15年ぶりの同窓生たちが集まり賑やかに盛り上がっていた。
みなそれぞれに綺麗に着飾ってそしてスッポリンをスッポリとキメていた。
私は普段着姿の自分がなんだか寂しかったが、私の毎日は「100%普段」なのでしょうがない。
一緒に過ごした懐かしい日々の思い出話がひとしきり続いたあとは、それぞれの現況報告になった。
みんな色々な事をしていた。
会社員、警察官、お母さん、先生…
15年の時間がみんなを「何か」に仕立てていた。
「僕だけが何にもなっていないのかもしれない。同じ時間が過ぎたのに僕だけが…。」
私はそんなことを思い、いろいろなことをグルグル考えながら霞んだ夜の道を部屋へと帰った。

部屋の明かりが見えたところで私は泣きたくなり、スッポリンを脱ぎ捨てた。
一気にハナとナミダが溢れた。
ナミダのほうが多いようだった。
部屋ではジェットとケヤキがカレーを食べていた。
ケヤキは私を見て「スッポリンはやめたんですか?」と聞いた。
「うん、なんだかね、僕には爽やかすぎるみたいなんだ。」顔を洗いながら私は答えた。
「みんななんだか立派になってたな。なんだかまぶしかったよ。僕だけが子供みたいだった。ホラ、こんなにハナも垂れてるしね。」
私はひたすら顔を洗い続けた。
「子供とか大人とかってなにかで決まってるんですか?」
ケヤキがタオルを差し出してくれた。
私は顔一杯にタオルを押し付けたまま「分からないよ、僕には。いろんな事を僕は分かっていないんだな。きっと。」と呟いた。
ケヤキはしばらく私を見つめてから「スッポリンよりハナタレのほうがいいです。」と言った。
「ムラサキ過ぎるから?」
「それもちょっとあります。」
「そうだよねぇ。」
私は笑って大きく息を吸い込み「くっさめ!くっさめ!」と思い切りくしゃみをしてからケヤキに言った。
「僕にもカレー、お願いします。」・・・



まどろみさん 3rd その5


杉並区にも初夏が来た。

世の中全体が、春のなんだか浮き足立ったような喧騒から我に返って一服しているようで
生ぬるい空気が町中に飽和していた。
「なんかじっとりとして落ち着かない空気の日だねぇ、ちょっと出かけようよ。
おっちゃんの店に行って元気玉を食べようよ。」
私とケヤキがおっちゃんの店に着くと、店にはいつものメンバー、「毒月ラーメン」店主のドクヅキさん、小柄な郵便局員のワナナキさん、馬の遺伝子が強めなイナナキさんなどが元気玉をむさぼりながら口の中を黄身色に染めて盛り上がっていた。

「われわれの母校、善福寺川小学校が取り壊されてしまったんですよ。
ひどすぎますよ。世の中は不幸しか無いや!」
ワナナキさんが早くも泥酔でワナナキながら泣いていた。
「いい学校でしたがねぇ。」
おっちゃんも卒業生らしく残念そうだ。
そのうち学校七不思議の話になった。
「そういえばあの地下室のうわさは本当だったのかねぇ。」
イナナキさんがイナナいた。
「メソ先生の地下室のことか?」

ドクヅキさんが話してくれた話によると、昔すごく頭のいい理科の先生がいて、同僚の国語の美しい女教師と結婚する予定だったそうな。
しかし不慮の事故で女教師は死んでしまい、それ以来明るくて優しかった理科教師は暗くていつでもメソメソ泣いている「メソ先生」になってしまい、家にも帰らず放課後になると地下のボイラー室の奥の物置に閉じこもって、ずっとなにやらガタゴトと研究らしいことをしていたそうな。
生徒の間では「死者を生き返らせる研究をしている」と信じられていて、みんな怖くて近寄らなかったそうな。
そしてある日急にメソ先生はいなくなり、ボイラー室の奥の部屋にいってみると、コンクリートで塗り固められて入り口も無くなっていたんだそうな。

「結局メソ先生はあそこで何をしていたんでしょうか?ただ泣き続けていたんでしょうか?いとあわれなり。」
ワナナキさんが朦朧としながら最後の力でつぶやき、コトリと眠りに落ちた。
「さぁ、お開きにしますぜ。」
おっちゃんがワナナキさんの襟首をつかんで外に放り出しながら言った。

ケヤキと帰り道にその学校の跡地に行ってみると、土砂の山や穴ぼこだらけだった。
シャベルカーやユンボが置いてあったので、私たちはおもむろにそれらのマシンにそれぞれ乗り込み、そこらをほじくったり平らにならしたりしながら「ゼネコンごっこ」に熱中した。
ケヤキのシャベル操作は見事なもので、私も負けじとユンボで走り回っていると突然竪穴に落っこちた。
かなりの深さの竪穴である。
ケヤキが心配そうに上から覗き込み「元気ですかー?」と猪木様ばりに叫んだ。
「元気みたいだ。俺ってすごい!」
自分のタフさに驚きつつ回りを見回すと、ポッカリと横穴が口をあけている。
器用に滑り降りてきたケヤキと私は急遽探検隊を結成、横穴を手探りで進んだ。

すぐに大きな部屋のような場所に出た。
「もう行き止まりみたいだね。」
手探りしている手に何か触れたので押してみると、淡く赤い光がついて部屋を照らした。
丸いドーム状になっていて、真ん中に1m程度の丸いステージがあった。
私は飛び乗って「まずは一曲目、『侍ジャイアンツのテーマ』行きます!」とオンステージを開始しようとすると、足元のステージからビリビリと体に電流が流れ、なにやらいろいろなものが足の裏から吸い取られるような感覚が体中を包んだ。
「わわわっ、ごめんなさい、僕が悪かったですう!」
動転して無作為に謝りまくる私の周りがプラネタリウムのように明るくなり、ドーム状の壁一面にいろいろな風景や人が映し出され、すごいスピードで、しかしはっきりと鮮やかに映像として流れ出した。

それは私の記憶だった。
幼いころの記憶から始まったその映像は、屈託もなくただ楽しい記憶ばかりで私はうれしくなり
「母さんだ!きれいだな。そうだ、これは山下公園で遊んだ日だ。次はなんだ?縁日だよ、イセザキ町だ!」
私はすっかり興奮して叫びながら夢中で映像を追っていた。
しかし時代が進むにつれて記憶は断片ではなくつながりを持ち始め、その時々の自分の意思や感情によって色づけされ、ゆがんだ映像が増え始めた。
私の中に蓄えられていたもの、蓄えられている間に美化されたり醜く強調されたりしているあらゆる記憶たちが次々と現れて消えていく。
会いたかった景色も二度と見たくなかった状況も、何もかもが部屋一面に映し出されていく。

私は急に恐ろしくなり「ワー!」と叫び、力を振り絞ってステージから転がり落ちた。
「駄目だよ、こんなの。こんなこと駄目だよ!」
うずくまって震えている私の背中をケヤキが黙ってさすってくれた。
「メソ先生は記憶の中の人に会いたくて、これを作ったんでしょうね。毎日これで消えてしまった人に会おうとしたんでしょうね。」
私たちは無言で竪穴を埋めた。

じっとりとした帰り道、私は恐る恐るケヤキに尋ねた。
「どこまで見たの?」
ケヤキは「ステージ上のまどろみさんを見てました。オンステージだと思ったので。」
そういって笑い、ゆっくりと私の手を握った。
私は半分子供に戻ったような気分のままケヤキの手を握りしめ、ただ歩いた…。



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